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東京地方裁判所 昭和36年(行)69号 判決 1961年11月22日

原告 加藤与市

被告 国

訴訟代理人 家弓吉己 外二名

主文

本訴のうち、被告が原告に対してなした国民義務教育図書代金五、八三六円の徴収行為の取消を求める部分は、これを却下する。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告および被告の求める裁判とその主張は、それぞれ別紙訴状および答弁書記載のとおりである。

理由

一、義務教育図書代金の徴収行為の取消を求める部分について、原告は、被告が原告に対してなした義務教育図書代金五、八三六円の徴収行為の取消を求めるが、右処分の時期、方式等については、何らの主張、立証がなく、又、原告主張の如き処分をなすべき権限を行政庁に認めた法規も存在しないから、原告主張の処分があつたとは認められず、本訴は、訴の対象を欠き不適法である。なお、行政処分の取消訴訟は、当該処分をなした行政庁を被告とすべきところ、原告は、国を被告として行政処分の取消を求めているのであるから、この点においても不適法たるを免れない。

二、義務教育図書代金の支払を求める部分について

原告が、小学校一年生の加藤京子の親権者であつて、同人の義務教育図書代金五、八三六円を負担支払つたことは、当事者間に争いがない。

原告は、義務教育図書代は、憲法第二六条第二項後段によつて、被告が負担すべきであるのに、原告において負担させられているから、被告に対し、その支払を求めるものであると主張するので、これについて判断する。

憲法第二六条第二項後段は、同項前段において、国民に対しその保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負担させていることに対応して、義務教育を無償とすることを定めたものである。即ち、国が保護者に対し、右の如き義務を負担させる以上、国は、当然に保護者の負担を軽減する責務を負うのであつて、憲法第二六条第二項の就学強制と義務教育の無償の規定は義務教育制度の本質を明言したものというべきである。この意味において、同条第二項後段の趣旨としては、国は保護者に対し、義務教育に伴うすべての出費を補償すべき責務を負うべきことを規定していると解するのが相当である。

しかしながら、憲法第二六条第二項後段を右の様に解すべきものであるからといつて、直ちに個々の保護者が、右条項によつて直接国に対し、義務教育に伴う出費の補償を請求し得べき具体的権利を有することにはならない。

義務教育に伴う費用としては、授業料をはじめ、教科書代、学用品費、通学費、被服費等々が考えられるが、これらに要する費用は、尨大な額に及ぶものであるから、これをすべて国において負担するには、それに堪え得るだけの国の財政負担能力を必要とする。しこうして、国の財政負担能力は、その時代の経済状態、財政政策等によつて規整されるものであるから、国の基本法としての憲法が、この財政負担能力との関係を無視して直接個々の保護者に対し、義務教育に伴う出費、損失の補償を国に求める具体的権利を付与したものとは、到底解し得ないところである。

結局、憲法第二六条第二項後段は、国に対し、義務教育を無償とすべき前述の責務を課したのであるが、その法的性格は、国に対し、財政負担能力などの関係において、右責務を具体的に実現すべき国政上の任務を規定したにとどまり、個々の保護者はこの規定により義務教育に伴う出費の補償を国に求める具体的権利を有するものではない。換言すれば、国は、義務教育費用の中、いかなる範囲のものを国が負担するかについて、財政負担能力を考え合わせてこれを定め個々の保護者は、この具体化の措置があつてはじめて、その国の負担と定められた費用について、具体的、現実的な権利を主張し得るに止まるものである。

もつとも、憲法の右条項は、国に対し、義務教育を無償とするか有償とするかについても、その自由に委ねたと解し得ないことは、文言上明らかであるから、国が義務教育を有償とし、又は無償とするなんらの措置を講じないとき、例えば、国、公立の義務教育諸学校において、授業料を徴収し、又は国、公立の義務教育諸学校への通学の途をとざして、私立の義務教育学校の授業料徴収に対し、なんらの補償をしないような場合には個々の保護者は、右条項違反の主張を許されるものと解されることに注意すべきである。

そこで、現行法制について見るに、義務教育の無償に関し、現在具体的に法律上定められていることは、一般的には、教育基本法第四条第二項および学校教育法第六条第一項但書において、国立又は公立の義務教育諸学校における授業料の不徴収が規定されるのみである。本訴において問題の教科書代については、一般的にこれを国の負担とする法律は現存しない。

しこうして、右の現行法制は、憲法の要請を最小限度においてのみ充足するに過ぎないが、教科書代を国において負担していないことが、直ちに憲法に反するものとして、同法第二六条第二項後段を根拠に、個々の保護者が、直接国に教科書代金の支払を求め得ないことは、すでに詳述したとおりである。

特別な場合に、限られた範囲で、就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励について国の援助に関する法律、盲学校、学校及び養護学校への就業奨励に関する法律、生活保護法等によつて、教科書代の給与が行われているが、原告が、右の各法律によつて本訴請求をなすものでないことは、弁論の全趣旨から明らかである。

三、結論

以上の次第であるから、本訴のうち義務教育図書代金の徴収行為の取消を求める部分は、これを不適法として却下し、義務教育図書代金の支払を求める部分は、理由がないから、これを棄却し訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 下門祥人 町田顕)

(訴状)

請求の趣旨

一、被告が原告に対してなした国民義務教育図書代金五千八百参拾六円也の徴収行為は之れを取消す

一、被告は原告に対し国民義務教育費図書代金五千八百参拾六円を支払へ

一、訴訟費用は被告の負担とする

との御判決を求めます

請求の原因

一、原告は当年七歳の加藤京子小学校一年生の親権者父であります

一、日本国憲法第二六条に

すべて国民は法律の定めるところによりその保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ義務教育はこれを無償とする

又教育基本法第四条には義務教育については授業料はこれを徴収しない

とある

一、然るに現在義務教育に要する教科書は保護者たる者が負担支払つて居る

現在の義務教育期間中の教科書代金は金五千八百参拾六円也は当然被告に於て負担すべきであるのに各自保護者に於て負担して居る尚義務教育費全部も被告の負担とすべきが正当であるのに教科書代金迄も個人負担とするのは不当である

右の通りであるので前記請求の趣旨に記載する如く判決を求めるものであります

(答弁書)

本案前の答弁

本件訴のうち、被告が原告に対してなした国民義務教育費金五千八百三十六円の徴収行為の取消を求める部分は却下する訴訟費用は原告の負担とする。

答弁の理由

原告は、本訴において、被告が原告に対してなした国民義務教育図書代金五千八百三十六円の徴収行為の取消を求めているが、被告が原告に対し右のような徴収処分をなした事実はないのであるから、右請求は訴訟の対象を欠く不適法な訴として却下さるべきである。

なおまた、右請求は、行政庁の違法な処分の取消または変更を求める訴については、当該処分をなした行政庁を被告とすべきであるにかかわらず、国を被告としている点においても不適法な訴といわざるを得ない(行政事件訴訟特例法第三条御参照)。

本案の答弁

請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

請求の原因に対する答弁

第一項 認める。

第二項 認める。

第三項 現在、義務教育に要する教科書の代金を保護者が負担していることは認めるが、その余の原告の主張は争う。

被告の主張

原告は、本訴において、憲法第二六条第二項に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と規定せられていることを根拠にして、被告に対し義務教育期間中の教科書代金合計五千八百三十六円の支払を求めておられるが、以下述べるとおりの理由により原告の右請求は誤つているといわなければならない。

そもそも、憲法第二六条の法意は、国家は国民一般に対して、就学を強制する反面において、義務教育の費用はできるだけ無償とするよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものであつて、この規定により直接に個々の国民に、国家に対して具体的現実的な請求権を認めたものではなく一国民の具体的現実的な権利義務の範囲というものは、別途に法律によつて規定されることを必要とするものである。すなわち、憲法第二六条の規定は、憲法二五条や第二七条の各規定が、単に国家が国民のすべての生活部面につき、国政運営上法を制定し又は行政処分をする場合の根本方針を定めたものに過ぎないのと全く同じ趣旨のものであると解すべきである(憲法第二五条の法意については昭和二三年九月二九日言渡の最高裁判所大法廷判決御参照)。

ところで、義務教育に伴う費用のうちには、授業料、教科書代、教材費、学用品工具、被服費、交通費等いろいろの費用が考えられるが、憲法第二六条第二項は単に「義務教育は無償とする」と規定しているのみに止るから、この規定だけからは無償とする費用の範囲は明確でない。勿論授業料まで徴収することとすれば憲法の右規定の趣旨を没却することとなるであろうが、しかしまた他方、義務教育を受けさせることに伴う保護者のあらゆる一切の出費、経費を全部無償とし、これを補償することまで義務づけた規定とも解されない。理想としてはそれが望ましいことではあるが、国の財政力との関係が無視されるべきものではない。したがつて憲法の右規定は無償とすべき費用の範囲を法律により明確にし、かつその際国家財政との関係を勘案して妥当な範囲に限定することを妨げるものではないというべきである。

そして現在具体的に法律上定められていることは、国立又は公立の義務教育諸学校における授業料の不徴収のみであつて(教育基本法第四条第二項、学校教育法第六条第一項但書御参照)、教科書代や学用品費等については未だ無償が認められておらず、唯教科書等については、限られた範囲で給与が行われているに過ぎないのである(学校教育法第二五条、就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励についての国の援助に関する法律、盲学校、聾学校及び養護学校への就学奨励に関する法律、学校給食法、学校保健法、日本学校安全会法、生活保護法御参照)。

したがつて、憲法第二六条第二項の規定からして教科書代が無償であるべきものとして、同条に基き直ちに国に対し、その代金を請求できるものであるとの前提に基く原告の本訴請求は失当であるから、棄却さるべきものである。

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